昨日は、しらかわホールに名古屋ビクトリア合唱団の演奏会にいってきた。

はじめて今回は、母を誘ってみた。
とても上手だと、母はとても喜んでくれて、またきたいといってくれた。

血圧について落ち着かさせるために、食事に気をつけ、昨日からは怖れて向き合っていなかった体重もはかり、減量に舵を切った。

部屋の掃除は結局、はかどらず、身辺の買い物をしたりに明け暮れた。

最近は、

ウェイン・ダイアーのTwitterを過去のものから少しずつ毎日読むのとウォン・ウィン・ツァンの震災後に継続的に毎晩行なってきたライブ演奏の録画のUSTREAMをきくことで、自分を落ち着かせ、深いところにアクセスし、気づきを得ている。

母といると、高齢化により、以前よりは、衰え、少なくなったが、
私に口にすることばは、ほとんどが指摘事項と改善事項。

そういってくれることをありがたいと思わなければ。
言葉づかいが汚くて、みっともないそうだ。

それを言ってくれるのは、母だけだ。
言葉を発するときにもっともっと慎重にならなければ。
ずいぶん、私と話をする人は、それによって不快感を感じていらっしゃるかもしれないし、いい感じを思っていらっしゃらないのではと思わされた。

丁寧な言葉づかい、品のよい言葉づかい、言語の選択に慎重にならなくては。

ついつい、「お」が抜けてしまう、その癖が全然なおっていない。
ひとつひとつなおされる。

「塩」でなくて「お塩」。
「みそしる」でなくて「おみそしる」。

全然なってないんだろうなぁ。母からみれば言語道断のようだ。

親との面会は、指摘事項、改善事項、命令を頭をうなだれて、黙ってきくこととされている。

慎重な対応が要求されるが、まだこの年になって、その礼儀がなされていないようだ。
丁寧に、丁寧に、心をこめて、あたたかく接すること!

誰に対しても愛をもって。

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